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INTERVIEW

第1回 音楽との出会い

私の父親は普通に会社に勤めているサラリーマン、母親も着物の着付けの先生をやっているぐらいで、いわゆる音楽家の家庭で育ったわけではまったくなくて、身近に音楽家がいたというわけでもありません。ですけど、物心ついた5歳くらいの時にはオーケストラの指揮者になりたいと思っていましたね。まあ、でもその頃は物事の区別がつかないので、漠然と「オーケストラになりたい・・」と思っていた、という方が正解ですね。

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第2回 作曲家 池野成の一番弟子

そして到着したのが、自宅から歩いても15分、車なら5分かからない、昔から自転車で横を通るといつも犬が吠えて、ピアノの音が聞こえる不思議なところだなと思っていた洋館だったんです。
そこで初めて池野 成先生にお会いしました。

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第3回 作曲への感興

どういう経緯でそうなったのかよく覚えてないんですけど、ある時、池野先生が
「録音現場というものを見てみますか?」
と言われたんですよ。それから
「吉澤 博さんという人に紹介してあげるから。指揮のレッスン頼めるかも知れないよ」
とおっしゃるんです。
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第4回 死闘 池内友次郎レッスン

藝大の附属高校に行くんだったら、とにかく一刻も早く池内友次郎先生のところに行かなきゃいけないっていうことになったんですね。それで即座に、私の母親も同行して池内先生のところに連れて行って頂いたんです。

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第5回 我が師の恩(1)

藝大付属高校に入ってからも、学校が終わった後は家に帰らずに池野先生のお宅に直行して、とりとめのないお話に付き合っていただいていました。

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第6回 我が師の恩(2)

池野先生からは折に触れて、例えばドビュッシーの時代はこうだったとか作曲家のエピソードといった形で、音楽史の流れみたいなものを随分話していただいたな、と思うんですよ。

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第7回 藝大付属高校と
《Berdoa punja Selatan Pulau》

それでいよいよ藝大付属高校の生活が始まったんですね。
 藝大付属高校は、今だと藝大の隣り、つまりは上野公園内にありますが、当時はお茶の水にあったんですよ。駿台の予備校やアテネ・フランセに挟まれた、かつて三楽病院だった恐ろしく古い建物を改装して使っていたんです。

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第8回 伝説の異端児

藝大付属高校の卒業演奏会というは6月にあるんですけど、その2ヶ月ぐらい前から私の作品の練習が始まったんですね。
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第9回 伝説の浪人生(1)

入学試験を落とされてもちろん悔しかったんですけど、逆に「こんなところに誰が行くか」っていう気持ちの方が強くて、もうすっかり藝大に対して頭にきてたんです。

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第10回 伝説の浪人生(2)

あと浪人時代の思い出というと、確かあれは9月頃だったと思うんですけど、付属高校時代の同級生で金管をやっている連中が藝大で演奏会を開くことになって、まだ浪人生の私に作曲の委嘱をしてくれたんですよ。
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第11回 藝大 松村禎三クラス

そんな訳で、もう二度と受験しないと思っていた藝大の学生になったわけですね(笑)。
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第12回 藝大 2~3年生

大学1年生の提出作品でピアノとトロンボーンのデュエットを出したことをきっかけに、トロンボーンの大御所である伊藤清先生から委嘱をいただいたんですけど、松村禎三先生に「とにかく今おまえはオーケストラを書く時だ」って大反対されちゃったんですよね。

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第13回 破門・指揮への回帰

学校では相変わらず松村禎三先生との関係がこじれちゃって、もうすごかったんです(笑)。
たとえば上野公園で遠くから誰かが歩いてくるなあと思って、よく見たら松村先生なんですよ。
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