いつ頃からだろう?
坐禅の時と日常の時の隔たりが無くなってきていて、いつの間にか坐禅の時に坐禅が無くなっている。
いつかの独参で、少し隔てが無くなってきている様子を話したら、老師から、
『坐禅をしなくてよくなれば良いんです』
と言われたのを思い出す。
坐禅は一人で歩けるようになるまでの「杖」のようなものと読んだ事がある。
坐禅とおなじ様子で日常過ごせるようになってきたけど、それでも自分にとって相変わらず坐禅は、
『安楽の法門』
で、何とも言えず良い時間。
時が経つのも忘れて、「こんなに座ってたのか!」と驚く事も。
〜事実だけがあって人がいない〜
こんなに静寂だったなんてねぇ。(^-^)
〜自己を忘れるとは万法に証せらるるなり〜
他にも??だった祖録の謎の言葉たちが、この事だったのか! よく分かる。
謎が解ける?
人の言葉だからね。祖師の語録も。
それよりも、本当に分からないこと、分かれないことだらけだったことに驚き、分かるわけがない事を決して認めずに、小さな小さな人の知恵で解決しようと悶々としてきたことが笑える。
分からないことだらけが、こんなに楽だとはね。
なんと軽いことか。
〜自分という荷物を降ろす〜
〜手放す〜
全ては依然としてそこにあり、何ひとつ変わってないけれど、こんなに軽い!
座っていても坐禅すら無くなってきた。
坐禅になりきったというのかな。
まさに『禅』=単を練る、だね。
その様子がそのまま日常。
逆に日常からみれば、まさに
〜坐禅は坐禅なり〜
だなぁ。(^^)
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